韓国ルーテル教会 宣教五十周年記念行事

宗教改革主日(10月26日)、韓国ルーテル教会の宣教50周年記念行事が行われました。日本ルーテル教団より、粂井 豊議長、梁 煕梅関東地区常議員、大和 淳宣教総主事が参加いたしました。また、その際に日本ルーテル教団と韓国ルーテル教会の今後の宣教協力についての話し合いもなされました。 梁常議員が報告致します。

「われここに立つ」

10月26日に韓国のソウルで行われた韓国ルーテル教会宣教50周年記念式典に、当教団より、粂井豊議長、大和淳宣教総主事、梁熙梅常議員が出席しました。この機会は、今まで途絶えがちだった両教団の今後の交換プログラムの可能性についても話し合われる、よい機会となりました。(女性たちの交流は今も続けられています。) 26日正午より、宣教50周年記念式典が、111年の歴史を誇る崇実(スンシル)大学内に建てられているハン・キョンジク牧師記念館を借りて「われここに立つ」主題のもとで盛大に行われました。この日は、宗教改革主日でもありましたが、記念式典のために全国のルーテル教会が各々の教会の礼拝を休み、1つの場所に集まって約1,700人が集って50周年を祝いました。記念式典は、聖餐礼拝、記念大会、公演と3部に分けて行われましたが、一部の礼拝はオム・ヒョンソプ総会議長の「福音のみを宣べ伝える」と題した説教と全国の43ルーテル教会の牧師全員が会衆の所々に立ち、聖餐式が執行される礼拝でした。 2部の記念大会ではオム議長の歓迎の言葉が述べられ、その中で、これからの50年の中で500個の教会を立て、北朝鮮にまで宣教の場を広げていく計画が述べられていました。また、外国からの経済的な援助を受けず、自立して宣教する教会形成をしていく心構えが話の中で何度も強調されていました。そのために、現在、地下5階、地上24階の「ルーテル会館」が建てられている最中であり、それを収益事業として活用していくそうです。この中で、LCMSの初代宣教師たちに感謝状、また、20年以上牧会された牧師と20年以上仕えてこられた長老に功労賞が贈られました。つづいて、将来のヴィジョン宣言文が朗読され、大人、青年、子どもの年齢層に分けて読まれたことが印象的でした。 3部では合唱やミュージカル、韓国古典の四物遊び(4つの楽器を使って踊る踊り)という踊りが披露され、ルーテル大学公演芸術学科の学生たちによる演劇も行われました。この演劇は韓国のキリスト教の歴史とルーテル教会の50年史を主題としたものでした。 27日の午前中は、韓国ルーテル教会本部を訪問し、オム議長と両教団の今後の交換プログラムについて話し合うときを持ちました。ただ親睦のように楽しく行うプログラムではなく、両教団で機関決定され、制度化されたプログラムをもって、継続的に行っていくことの大切さが話し合われました。可能なプログラムとしては、牧師たちの交流、神学生の交流(宣教研修など)、女性たちの会の交流などです。 話し合いの後、オム会議長と昼食(ブルゴギ)を終え、午後5時から行われる50周年記念講座及びレセプションに参加するためには時間の余裕があったため、韓国の李氏朝鮮の王朝を誇る城である景福宮(キョンボックン)を、約2時間ほど観光することができました。韓国の城は横に広く、歩き回るに大変な(私には)広さでしたが、一つ一つの部分を詳しく観察される大和先生曰く、「ここに元がある!」ということでした。今まで何度か訪れている私にとって、また新たな発見でした。 午後5時より、エンバサタホテルで開かれた50周年記念講座とレセプションはとても盛大なものでした。レセプションの中で日本ルーテル教団が紹介され、粂井先生が代表としてご挨拶をなさいました。挨拶の中で粂井先生は、「アンニョンハセヨ」(こんにちは)、「カムサハムニダ」(ありがとうございます)、「カカジュセヨ」(安くしてください) という韓国語を流暢に話され、会場のみんな大爆笑でした。記念講座は、アメリカのコルブ教授により、ルターの「二王国論」が講義されました。晩餐と講演をもって50周年記念式典のすべてのプログラムが終わり、ホテルに着いたのはすでに明日に近い時間でした。 韓国のルーテル教会が50年の歩みの中で取り組んできたこととして、韓国内の他の教派がより良い宣教ができるように文書宣教やルーテルアワーを通して協力してきたことを、オム議長は話していました。そのためにルーテル教会は韓国の中では小さな群れであるけれど、これからも変わらない宣教精神のもとで方針を固めていくということでした。今、韓国のキリスト教界は、成長を越え、腐敗しつつあると指摘されています。その中でのルーテル教会の肩に伸し掛かっている課題が大きいことを感じつつ、韓国ルーテル教会と私たちの教団のこれからの交換プログラムが展開される中で、互いの課題を分かち合い、また学ぶ機会となることを期待しつつ、帰って来ました。