牧師室

謙虚さ

今日は誰かが切に生きたがった、その日。 もう少しだけ生かしてくださいと祈った、その日。 しかし、余儀なく奪われ、二度と生きられなくなった、その日。 その日を私は生きている。今日もその一日だった。 しかし、生かされていると…

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もう一度 新年会

聖書会に来ている幼稚園のお母さんたちと牧師館で新年会。これで3年目。 子どもたちも一緒なので、卒園児と在園児が出会う場でもある。 今日、小1年生と年中の男の子が友達になった。 一品か二品を持ち寄って、食べたり飲んだり楽し…

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生きる

今朝、新聞の記事を読んで勇気づけられた。 「夢や希望がなくとも、『生きてきたこと、生きていること、 生きていこうとすること』が大事なのかなと思う。 ここにこうして生きていると思えることだけでもいい気がする」と。 地震で被…

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畏れ

(元日、午後4時54分に撮った写真)   今、自分は何に畏れをおいているのか。 その識別ができれば、歩き出す道がはっきりとわかる。 しかし、心が混沌としていて何も見えないときがある。 思い煩いや忙しさの虜になっ…

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謹賀新年

2024年、新しい年が明けた。 穏やかな朝、海の風が屋根の上を通り越す。 きっと、新年を祝う被造物たちのメッセージが、 海の風を通してつてられているのだろう。 新しい年には、もっと他の被造物に近づき、 言語を超えての交わ…

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あと僅か

2023年もあと二日を残している。 年を数えるのは人間界のしきたりであるために、 特別な思い入れはしないように心していても、 スーパーで売られている物や カレンダーの継がないことに気づく心は動揺してしまう。 感謝の言葉の…

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家族

私がイエスの家族であると信じようとするとき不安が横切る。 イエスの家族としての果たすべきことを果たしていないという思があるからだ。 イエスの家族として果たすべきこととは、平和を造り上げること。 つまり、隣人を愛することに…

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命を奪われた幼子の日

救い主として生まれたイエスを探して殺すために、 ヘロデ王はベツレヘムとその周辺一帯にる二歳以下の男の子を皆殺した。 イエスは、天使の助けを得てエジプトに逃れて助かった。 毎年、この日、この個所に出会う度に、どう受け止めた…

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ヴィッテンベルグより

土曜日、ヴィッテンベルグに雪が降った。 インドやアフリカから参加したビショップたちが喜ぶかと思うと、 美しさより寒くない方がいいと言う。 なるほど、現実はそうだよな。 私も寒くて体調を崩したりしているのだから。 &nbs…

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スイスより③

教会の成長のために必要なこと、 教会が本当に必要としているものとは何か。 教会にユースが入ってこない理由は何か。 教会が成長するためにはユースが必要、 そのためには教会はどのようにふるまうべきか。 最後には、牧師たちの霊…

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