家族

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私がイエスの家族であると信じようとするとき不安が横切る。
イエスの家族としての果たすべきことを果たしていないという思があるからだ。
イエスの家族として果たすべきこととは、平和を造り上げること。
つまり、隣人を愛することにほかない。
その愛が自分勝手な愛し方になっていて、結局不和を造り上げ、相手を苦しめている。
それは、自分にとって相手がどうかという仕組みでしか向き合おうとしないから。
それが暴力につながり、やがて戦争にもつながるということ。
今日はその自分を振り返る日にしよう。

 

(猫をリモコンで操作しようとしている様子)

 

考えられる人間の二つのタイプ。
「本性と宿命に向かっているタイプ」と「人格と自由に向かっているタイプ」。

「本性と宿命に向かっている」精神は、そうされる物体としての人間を取り扱う。
それは、できごとの成り行きを支配し、全人類の未来を堅苦しい決定的な気持ちにする。

「人格と自由に向かっているタイプ」は、厳しい要求をしない。
「支配する」というよりも、「応答する」または「応答に目覚めさせる」ことを求める。
だれかや、何かを決定しない。
人間と出来事が私たち自身の抽象的な理想に調和することを執拗に求めない。
それが求めるのは、未来のことは未来が決める。
これが真のキリスト教的見解である。

(トマスマートン「平和への情熱」より)

 

 

「天にいおられる私の父の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」。

(マタイによる福音書12章50節)

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