自分の場所に戻る(6月号)

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自分の場所に戻る

(マタイ9章9~13,18~26節)

先週は、とても忙しい一週間でした。金曜日の午後は、浦和ルーテル学院での礼拝の奉仕を終え、息子の家によって帰ってきたのですが、首都高速湾岸線を通って大黒大橋を通るときには、台風の大雨と暴風の中で、車が海の方へ飛ばされるかもしれないという恐怖と緊張のうちに運転しました。鵠沼に帰ってきて、ホッとしました。帰った夜は屋根を叩く雨の音を聞きながらどんなに感謝したかわかりません。人に付き合っていると、自分の都合を優先できなくなります。帰りたい時間に帰れなくなったりする。その結果、予想しなかった状況に置かれるときもあります。そういう状況に置かれても、帰れる場所があればいいのですが、帰る場所がない人は、ずっと不安や恐れの中を生きなければなりません。それを思うと、心が痛みます。精神的に帰る場所がなく、さ迷う人々に、教会が、キリスト者である私たちが居場所となっていくことは欠かせない働きです。

本日の福音は三つの出来事が選ばれていています。一つは、収税所に座っていたマタイがイエスさまに呼ばれて、イエスさまの後についていくという出来事です。二つ目は、12年間も出血が止まらない病気をもった女性が、イエスさまの服に触れたことで癒されるという癒しの出来事です。三つ目は、死んでいた少女がイエスさまによって生かされるという出来事です。

この三つの出来事に共通しているのは、それらが癒しの神秘と命の神秘の物語であり、光が闇の世界をリードしていることが物語られていることです。ですから、どちらの出来事もそう簡単に理解できて納得いくようなものではありません。

まず、収税所に座っているマタイのことです。マタイが座っていた収税所とは、商品にかけられる税や通行税などを徴収する場所で、当時、カファルナウムのほか、カイサリアやエリコに設けられていました。収税人たちは、ローマ帝国や領主に治める税金をしばしばイスラエルの民から多めに徴収し、私腹を肥やすなどしていたため、罪びとや異邦人や娼婦と同列な扱いを受けていました。マタイもその一人です。つまりマタイは、法的にはローマ帝国に従い、宗教的にはイスラエルに従っていましたが、実質的には金銭に従っていたと言えます。その彼が人々から罪人扱いを受けていたというのは、職業差別だけでなく魂の居場所さえ奪われて、暗闇の方へ放り出されている状態にいることを表します。

そのマタイにイエスさまは声をかけられ、自分に従うようにと命じられます。するとマタイはイエスに従いました。マタイは自分の居場所に出会ったのでした。

二人目の女性は、12年間も出血が止まらない日々を過ごし、経済的に大変な中にいたと思います。また、「穢れている」というレッテルが張られていて礼拝にも出られなかったと思います。家族や隣人からも孤立した日々を送っていたことが十分想像できます。

その彼女は、イエスさまの服に触れただけで病が癒されました。律法では、穢れている者がほかの人に触れることは、触れられた人も穢れるのでゆるされる行為ではありませんでした。しかし彼女には、「この方の衣に触れさえすれば治していただける」という確信があった。彼女はイエスさまの中にある癒しの神秘に気づき、自分がその神秘の中に招かれていると信じたのです。その通り、彼女はイエスさまの服に触れただけで癒され、イエスさまは彼女に「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した」とおっしゃって、彼女が行ったことを褒めるのでした。これで彼女にはイエスと言う居場所、帰れるところができたのでした。

三番目の出来事ですが、ある指導者の娘としか記されていない少女の死にイエスさまはかかわられます。イエスさまが「少女は死んだのではない。眠っているのだ」とおっしゃると、周りにいた人々はイエスさまを嘲笑っていました。ここに、人々の視点とイエスさまの視点の違いが明確に表れています。イエスさまは人の死を一時的な眠りと捉えます。眠りとは短い死になりますが、死と捉えれば長い眠りになります。人々は少女の死を死と捉え、永遠の眠りに入ったのであって、再び起き上がることは決してないと理解していました。その人々にとってそれが死ではなく眠りであると言われるイエスさまは、嘲笑う対象でしかありませんでした。

人の死をどう捉えるか。または、人の死にかかわっておられるイエスさまのことをどう理解するか。特に、少女と書かれているように、幼子の死や若者の死のように納得がいかない死を前にして、人は絶望の中に閉じ込められるために、その死を眠りと理解されるイエスさまがわかりません。イエスさまにとって眠っている少女は、ある指導者の娘という以前に、死と言う暗闇の力から救われるべき尊い一人の人間なのです。命の世界に生きるべき神さまの大切な子どもなのです。イエスさまは、誰一人として、死の力や、または人が作った律法や血縁関係に縛られ、脅かされて生きることをゆるされません。

私たちは、このイエスさまの視点を生きるようにと招かれた者です。それは、すべてを神さまのもの、神さまに愛される大切な存在として理解する生き方です。それは、穢れや裁きへの恐れ、死への不安を乗り越えて生きる、愛と赦しの世界の新しい道です。そこは、さ迷う者がホッとして安心できる場所であり、家族や隣人、または社会の中で孤立している人々が来ていいところ、縛られていて不自由な中で自由を求めている人が貴い者として歓迎される場なのです。

今日は三位一体主日です。左の図にあるように、三つの働きがすべて重なる真ん中、ここは、父なる神と子なる神、聖霊の神の働きが一つになるところ、私たちがホッとできる癒しと命に満ちた場所です。そこへ私たちは招かれているのです。

それなのに、私たちはその招きに応えようとせず、または後回しにし、虚しいことのために時間と思いを費やし、悩み多い日々を過ごしてしまいます。

本日の三つの物語の中には、イエスさまの行為を見て批判している人たちがいます。イエスさまはマタイを招かれた後に、マタイの仲間たちと一緒に食卓を囲んでおられました。それを見たファリサイ派の人々はこう言います。「なぜ、あなたがたの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と。また、ある指導者の家では、死んで床に寝かされている少女のことを、「死んだのではなく眠っているのだ」と言われたイエスさまを嘲笑っている人々がいました。この人たちは、きっと、常識と社会的プライドに自分の根拠を置いている人たちだと思います。ですから、イエスさまがやっていることが理解できないのです。社会からはみ出され、見捨てられている人たちと仲間になって食卓を囲み、その人たちに神の国の命の神秘を伝え、さらにはその中から弟子を選び、福音に携わる働きに送り出していますから、イエスさまのお言葉やなさっていることに納得がいかないです。

ひょっとしたら、私たちはこのイエスさまを批判して嘲笑う人々の中の一人になっていないでしょうか。自分の都合、自分の考え方、自分の習慣…その自分を優先するがゆえに、自分の人生の中に福音の根を下ろすことを怠ってしまったりはしていないでしょうか。

虚しい場所に座り続けていたマタイを呼ばれたように、そして、ご自分の衣に触れる穢れた女性を褒めて生きる勇気を与えられたように、イエスさまは、今日、寝床に横たわって虚しい世界をさ迷う私たち一人ひとりを呼び起こしてくださいます。金銭を追いかけるような虚しい生き方を捨てよう!目に見えて輝かしいもの、それらしきものに望みをおいて生きるのをやめよう!誰かに依存的になって、安易にその人の考え方や意見に自分を委ねることをやめよう!と、イエスさまは私たちに御手を差し伸べておられます。今その手につかまって立ち上がりましょう。イエスさまがおられるところが私たちの居場所です。本当の居場所、そこに戻り、そこからご一緒に歩み出しましょう。

希望の神が信仰からくるあらゆる喜びと平和とをもってあなたがたを満たし、聖霊の力によってあなたがたを望みにあふれさせてくださるように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。


私とめぐみルーテル教会

                      手島 弘美

夫の両親の介護の為に横浜からこの地に転居して、はや30年が経ちます。

桜が岡公園の蓮池や、新林公園の緑地に癒され、湘南ド真ん中の地の利と温暖な気候が気に入っています。

藤沢駅で、大船ルーテル教会でお目にかかっていた芝先生にお声をかけていただき、当教会に通うようになりました。

素敵なシルバーヘアーの渡辺さん、小林富子さん、山田さんその他にも沢山の信仰の先達がおられました。勿論、今もなお憧れの先輩方もご健在です。オリーブの会の前身である婦人会での活動の楽しさが、教会に毎週通う原動力になったのは間違いがありません。特筆すべきは、他の教会では催すことの少ない一泊修養会です。これにより会員同士の親近感がより深まります。

また信徒奉仕として、礼拝での聖書朗読、司会を勤めさせていただけたのも誇らしいことでした。「市内キリスト教連絡会」のお役目を担う中で、クリスチャンのご近所さんと知り合えたことも大きな賜物です。多くの方に支えられ、親しくお声をかけていただけて、「主にある兄弟姉妹」を実感しています。

最近では、股関節の手術、療養の際も梁先生が度々お顔を見せてくださり、会員の方々の励ましのお見舞いをいただき、繋がりを大いに感謝しております。

礼拝でみ言葉の恵みを受け、新しく入会された方々の初々しい奉仕のご様子を拝見するにつけ、当教会は神様のめぐみに溢れていると思わされる日々です。


松島儁也さんを訪ねて

先週、佐藤恵美子さんと松島さんを訪ねることができました。ご自宅の前で愛子さんを乗せて、愛子さんに道を案内していただきながら施設へ向かいました。面会室で待っていると、「なんと、今日は奇跡が起きた!」と、元気な声で面会室に入ってこられました。ベトナムに住んでおられる息子さんにも久しぶりにお会いしたようで、それも奇跡と思ったけれども、梁先生に来ていただいたのも奇跡だというのでした。そして、お話を聞きながら感動したのは、教会学校で奉仕していたことが今になって役に立っているという話でした。松島さんが教会学校の教師をしておられたときは、小学生のクラスが低学年と高学年に分かれていたようで、お話を二回準備していたと。短い聖書個所を膨らませて、子どもたちにわかりやすく話を準備するのは大変なことだったけれども、それが今になってとても役に立っているというお話でした。そしてもう一つ、ご自分の人生の中でよかったと思うことが二つあるが、一つは、神さまに出会ったこと、もう一つは愛子さんと結婚をしたことだと。満面の笑顔で話される松島さんと恥ずかしがる愛子さんを囲んで楽しいときを過ごしました。
老いる日々の記憶が、神さまの働き人として奉仕したこと、それが人生の最期に生かされている。この信仰の先輩の証は、くよくよと仕事に臨む私に新しい力になりました。こつこつと、小さなことに忠実に働きなさいと、励まされた思いでした。そして、やがて私も人生の最期の時を迎えたときには、神さまの働き人として生きたことが、今、とても役に立っていると証ができる人になりたいと思いました。こういう信仰の先輩に出会えたことを誇りに思います。

最後に松島さんは、一緒に信仰生活を送っておられた教会のみなさまのお名前をあげながら、みなさん元気?と尋ねておられました。離れていても心の中では大切につながっています。そのつながりを大切にするためにも、これからも先輩たちのところをお訪ねしたいと思います。

そして、いつも訪問時にご一緒してくださる佐藤さんに感謝いたします。

 

 

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