十字を切る

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鵠沼教会ニュース2月

巻頭言

会の暦では、2月17日より四旬節・レントに入ります。それから40日間、イエス・キリストが歩まれた十字架の道に思いを寄せ、利己的なわたしを見つめ克己のときとして過ごします。

灰の水曜日の起源は確かではありませんが、4世紀に遡ります。もともとは、教会から離れていた人が帰ってきたときに受けていた灰の祝福を、四旬節の初めに置いて、回心を呼びかけます。灰の水曜日の礼拝の中では、牧師が一人一人の額に、祝福された灰で十字をしるし、「あなたは塵から取られたものだから塵に帰る。回心して福音を信じなさい」と言い渡します。このときに使われる灰は、枝の主日に使われた枝(棕櫚、またはオリーブ)を、次の年の変容主日に教会に戻して焼いてつくられます。枝を家に持ち帰るのは、わたしたちの信仰が、初めは枝のように青々しいものであっても、時の流れと共に変色し、自分中心な歩み方をしてしまうものであることを、枝の色が失せてゆくのを観察しながら学ぶためです。そして、灰の祝福を受けるわたしたちは、再び、悔い改めを呼び掛けておられる神さまに信頼を置いて歩み出すように、赦しの中に招かれるのです。

このように、灰の水曜日には額に十字がしるされ灰の祝福を受けます。そして教会の中には一人ひとりが十字を切るという伝統が生まれました。普段、わたしたちのプロテスタント教会ではあまり十字を切るような習慣はありません。しかし、この際にわたしは皆さんに、ぜひ十字を切る習慣を身につけていただきたいと思います。朝起きたときに、寝る前に、食事の前に、仕事の前に、祈りの始まりと終わりに…あらゆるところで十字を切ることによって、イエス・キリストの十字架をわたしの歩みの前に置くようにするのです。特に、キリスト者ではない家族や友人たちと一緒にいるとき、十字を切って食事を始める姿は伝道にもなります。ある人は、汽車に乗って前に座った人が食事の前に十字を切る荘厳な姿に感動して教会に通い始めたと話していました。そして、わたしたちがあまりにも苦しすぎて、悲しみが深くて祈りの言葉が見つからない時に、十字を切るだけで十分な祈りになるのです。

形を整えると内側も変わっていきます。わたしの神学校の恩師の一人は、神学をすることは、先ず形を整えることと強調しておっしゃっておりました。この四旬節に、まず十字を切るという信仰の形を整えることによって、日常と内側の隅々にまで、イエス・キリストの十字架の道をつくり、その道から復活の喜びに導かれてゆく、恵み豊かな四旬節・レントを過ごせますように願います。

 

 

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