神々しい時

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キンモクセイの花

この頃、朝一番のトイレ訪問は、神の臨在に出会う神々しいときである。隣の家の庭にある二本のキンモクセイの木から放された香りが、夜の間、牧師館のトイレにまで入ってきて、部屋中に満ちている。コロナ禍の中で、ソーシャルディスタンスをとることが求められる今、大自然はSNSを使わなくても、訪れた季節をありのまま生き、それぞれの役割を思い切り果たしている。そこには何の危険性もなければ、むしろ幸せをもたらせてくれる。キリストの香を放すために、SNSは要らないということか。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。… ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(2コリント5:17~18、20)。

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