愛か執着か

Home » 愛か執着か
20201006_065140470_iOS

今日は珍しい光景に出会った。公衆電話。思わず写真を撮ってしまった。多くの人に愛され、大切な役割を果たしてきたもの。昔、あの受話器を手にしてお金が落ちる音を聞きながら、キムチの作り方や韓国のおかずの作り方を母に聞いていた。日本に来たばかりの頃の必死な私が思い出された。それからあまりにも変ってしまった自分。

通り過ぎる多くの人の関心から外れていても、立ち止った人には忘れていた大切な思い出を伝えてくれる緑色の姿には、謙虚ささえ感じた。それは、人々の必要のために大切な役割を果たしたものだけが表す姿なのかもしれない。そしてそれは、本当に愛されたという証拠でもある。本当の愛に生きるものは、自分がさらに何かを成し遂げようとしない。ただ注がれる愛に自分を委ねる。

 

「愛は死のように強く、熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまれる」(雅歌8:6b~7)。

カテゴリー