キリストの心(教会だより2026年5月号)
2026.6.23

 頸椎手術の後遺症で、両上肢に機能障害が残り一年が過ぎます。当初は食事や身支度にも何倍も時間と労力を使いました。まだリハビリは続いていますが、当時を振り返るとずい分、回復しています。教会の兄弟姉妹、事情を知る方々の祈りがあり、神様の癒しの御手に感謝します。

 生活環境も変わりました。幼稚園や大学への出勤、買い物、移動に車の運転ができず何でも時間がかかります。それでも、どうにか一年無事に務めを果たせたと安堵しながら、はっとしました。もっと自由に効率よく動けた時に、私は今よりも働いていたのかと。あまり違いはないのです。逆に今、差が出ないほど自分が努力しているとも思えません。ではどうしてなのか。

 聖餐式でのこと。ベルトで腕を支えず左手では配餐できるようになりました。ところが、うっかり利き手の右手でパンを配ってしまい、途中で手が上がらず困っていたところ、皆さんがパンを受ける手を低く下げてくださいました。実は、ずっとそういうことだったのでしょう。

 私たちはキリストにある一つの体に喩えられ、「互いに配慮し合うように」、体は見劣りのする部分を引き立たせて組み立てられています(1コリント12章24節~25節)。様々なところで皆さんに助けられてきました。そして気付かないほど自然に、私の弱さ至らなさに静かに身を低くし姿勢を合わせて寄り添ってくださる優しい「配慮」に、これまでも今も支えられています。

(新発田ルーテルキリスト教会牧師 中川祐子)