キリストの心(教会だより2022年7月号)
2022.7.19

『思い悩まない』
ルカ12章24~25節

 我が家には14年前に、長女が勝手に友人からもらい受けた犬がいます。その長女は間もなく独立して、今や一児の母となり、我が子第一の生活をしています。以来、犬の世話は老夫婦に義務付けられました。朝晩の散歩は欠くことが赦されず、雨にも負けず、風にも負けず、夫婦の日課となっております。でもいつしか『愛犬』になり、癒される毎日です。

 彼女は今や老犬となり、後ろ足が不自由になり、補助用のハーネスを装着して毎日の散歩に与ります。ふらふら、よたよた、時に腰を落としたり、はらはらしながら見守る毎日です。でも、そんな状態にも関わらず、それを憂う様子もなく、健康時と変わらない振る舞いに、大いに励まされています。と申しますのも、私は2年前に股関節の手術をして、成功はしましたが、それでも以前のような活動はできなくなりました。時々、それを憂いて、あの時はあれもできた、これもできたと後悔することもしばしばでした。そんな時、足腰が不自由になった『愛犬』が、以前と変わらず、お腹が空いたと吠えまくり、満腹すれば、所かまわず眠りこける。ああ、この今を、一生懸命生きているんだなあ、と思うと、後悔のただ中から引き出されて、よし、自分も、前を向いて行こうと促されるのです。聖書は「烏のことを考えてみなさい」と言います。そして私は「犬のことも考えます」と答えています。

(戸塚ルーテル教会牧師 清水臣)