議長だより(教会だより2026年5月号)
2026.6.23
D・ボンヘッファーは、「教会は、他者のために存在する時にのみ教会である」と語りました。これは彼の晩年の獄中書簡において繰り返し示された教会理解の要約であり、教会の本質を鋭く言い表していると思います。教会は自らを守るために存在するのではなく、神の愛を受けた者として、その愛を他者へと具体的に分かち合うために召されているのです。
私たちは、ともすれば自らの維持や安定に心を奪われ、内に閉じこもりがちになります。しかし主イエス・キリストの十字架は、私たちのまなざしを外へと向けさせます。主はご自身を与え尽くし、苦しむ者、孤独な者、見失われた者のために生きられました。この主の姿にこそ、教会のあり様が示されています。
5月、私たちは「聖霊降臨・ペンテコステ」を迎えます。ペンテコステは教会の誕生として覚えられますが、それは、すでに集められていた弟子たちの交わりに降った聖霊が、弟子たちを内に留めることなく、外へと押し出し、福音を分かち合って他者と共に生きていく交わりとしての「教会」の歩みと働きが始められたことでした。「教会」は、単なる宗教的組織ではなく、キリストの体として世に遣わされ、他者のために仕える共同体として歩み始めたのです。聖霊は今も私たちを内に留めることなく、外へと遣わし続けておられます。この主の御業と召しとに信頼し、導かれつつ、主の御業の中で用いられていく恵みに生きる私たち一人一人とされたいと願います。
江本 真理
