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私たちは、めいめいの山の中で黙る。
辛さをこらえる沈黙もあろうけれど、
黙ることによって恍惚の中にとどまろうとする。

「山の哲学者」と呼ばれた随筆家は、
頂上に登りついた時の悦びをこう記す。
まるで自分が山の一部分でいられるみたいだと。
体の芯からの震えは言葉にしたとたん、
薄っぺらになって霧散してしまう。
正体のよくわからない命の熱りに浸かっていたからこそ、
すぐには言葉でそれに距離をとりたくないのだろう。
『夕映えの山頂』から。
(朝日新聞 10月22日『折々のことば』より)

 

私たちは物心ついて以来、
人のご機嫌を取ることばかり考え、
他人に頼って自分を確かめようとしてきた。
・・・
しかしそろそろ、こういう自家製の支えは一切捨てて、
神だけで充分と信じる時である。
人のご機嫌をうかがうのはやめて、
自由な自我としての自分を立てなおさなければならない。
(ヘンリ・ナウエン「心の奥の愛の声」より)

 

わが神、わが神
なぜ私をお見捨てになったのか。
私の悲嘆な言葉は救いから遠い。
わが神よ
昼に呼びかけてもあなたは答えられない。
夜もなお、私は黙ることができない。
・・・
苦しむ人は食べて満ち足り
主を尋ね求める人は主を賛美する。
あなたがたの心がいつまでも健やかであるように。
(詩編22篇)

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