心の扉

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心がノックされている音が聞こえない。
あれこれと雑音に紛らわされて、ずっと遠い、
どこか違う人の、知らない人の家をノックして
いるような音としてしか聞こえない。
ノックしているのは最も近くにいる家族だったり、
毎日一緒に仕事をしている仲間だったり、
私を生かしてくれている風や日差し、月や星のあかり、
朝一番の一カップのお水だったりするのに、
どうして私は、私の心のノックの音を
遠くから聞こえる音のように感じるのだろう。

 

もしあのとき、アダムが「確かに自分も悪かった」と認め、
その責任を負っていたなら、人間の歴史はかわっていたかも
・・・
つまり、「あの女のせいです」とは言わず、
「私は食べてはいけないと言われた実を食べてしまいました」と
言っていたなら、アダムとエバの二人が、神の前に進み出て、
「ごめんなさい、私たちが悪かったです!」と言ったとすれば、
自由な存在として造られた人間が、それにふさわしく生きるための
第一のハードルを、あの状況の中で、あのとき、クリアできただろう。
(岡 立子「マリアの風に乗って」)

 

 

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
(黙示録3:20)

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