陰ではなくキリストの前で

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人にもう一人の人のことを話すときがあります。それが話題にあがっている人にとって良いことであれば罪責感はありません。むしろ良いことをしているような思いさえもちます。しかし、どんなに誉めことであっても、そこにいない人のことを他者と話題にすることはよくないと、ボンヘッファーははっきりと戒めます。それは人間的な思惑の中の出来事であるからです。キリストに従う人は、良し悪しを区別することなく、すべてのことをただそのこととして見つめ、受け止め、もし語り合う必要なある場合はキリストと共に語るようにと。そのためにも、日々の祈りの場がなければ、その必然性に応えることはできません。一日二四時間の中のどこに私の祈りの場はありますか。

「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです」(1コリント2:1-10)。

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