愛という赦し

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「親から一度も愛されたことがない」とか「誰からも愛されていない」とか、「愛することがわからない」と言う人がいます。本当にそうでしょうか。愛することは赦すことなのです。つまり、私たち一人一人は、生きるためにすべてのことにおいて赦されているのです。生まれるときに与えられた「命」は、どんなものにも制限されることなく生き続ける強さを持っています。ですから、他者から愛しを求めるより、自分の中に既に与えられている命の偉大さ、その中にある愛という赦しの素晴らしさに気づくとき、私たちは、どんな苦難や悲しみ、孤独をも乗り越えられる力を有していることに気づくことでしょう。

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」(黙示録7:13-17)。

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