12月27日 降誕節第1主日 説教

Home » 12月27日 降誕節第1主日 説教
20201226_214240522_iOS

ルカによる福音書2章22~40節

聖別される

2020年の最後の主日を迎えました。新型コロナを恐れていたら、あっという間に過ぎた一年だった、もう二度とこんな年は迎えたくないという思いで、この年末を過ごしている方もおられるかもしれません。しかし、私は皆さんにこう申し上げたいと思います。「今年はとても多くのことに気づかされた年、感謝の一年でしたね」。

私にとっては、皆さんと出会った年でした。教会の新しい始まりをみなさんと迎えた大切な一年でした。コロナ禍の中に置かれながらも、鵠沼という地域性もあり、礼拝を守り続けることによって、礼拝ができない教会やコロナ禍の中で被害に遭っている方々のことを覚えて祈ることができました。

また、コロナのために6月に入園式を行った幼稚園でしたが、その働きが守られて、地域に対して子どもたちの成長が祝福されているということを証しすることができました。子どもたちの笑顔や成長を証しできることは、特に今年のような年には大きな慰めになります。

さらには、コロナのために教会に来られない仲間たちのために心を配り、連帯を深めることができた年であったと思います。

世界的にたいへんな年ではありましたが、良かったことを思い出せば、それは数えきれないほどあります。良かったことを表明すると、嫌だと思っていたことも嫌な色が失せてゆきます。

過ぎ行く年をどう送るかによって新しい年の迎え方が異なってきます。過ぎ行く年を感謝の思いで送ることができれば、新しい年へのヴィジョンが具体的に見えてくるようになります。すべてのことは感謝する時に新しく変わる、変化する、変化を受け入れる力をもつようになるからです。

2020年が私たちにとって多くの気づきがあり、感謝の一年であったと言える大きな理由は、救い主イエス・キリストが、今年私たちに出会ってくださったということです。このことは当たり前のことではありません。多くの人が救い主との出会いを求め、そのためにさ迷っています。しかし、私たちは救い主に出会い、救い主の道を歩く者にされました。聖別されたのです。

さて、先ほど拝読しました福音書には二人の年老いた人が登場しています。信仰深いシメオンと女預言者のアンナです。シメオンは、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」と、聖霊からのお告げを受けていました。預言者アンナは、嫁いで僅か7年で夫に先立たれて、その後、ずっと神殿で修道女のように過ごしている真実な人です。二人とも年を取っていて、アンナは84歳。当時の84歳は、今の100歳を超える歳と同じくらいの長寿を表しています。

この二人が、人生の最期に、生まれたばかりの救い主に出会いました。その喜びは、シメオンの歌に表れています。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」(29~30)。

これは、私たちが使う式文の中に納められていて、礼拝の最後の方で歌われるものですが、神さまに信頼を置く人の歌です。この目で神さまの救いを見ましたから、もう死んでもいい、何も悔いることはありませんと、神さまの約束が自分の人生の中で果たされたことを感謝している人の告白の歌です。

つまり、私の人生の中に神さまの約束が果たされ、救い主が贈れた、それゆえに、聖なる人生になりました。出会いと別れもあり、愛する者との死別もあり、迫害も受け、奪い合い、争い合う、ありとあらゆることを経験した長い人生の道のりでしたが、その最も最期に、神さまが約束を果たしてくださった、救い主を贈ってくださった、そのために私の人生は幸せな人生でしたとシメオンは告白しているのです。アンナも同じです。そして、私たちもこの告白に招かれています。

約束が守られるということ。このことは聖書の中の大きなテーマの一つです。

「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」と聖霊によって告げられたシメオンは、それが神さまとの約束であると信じて、その約束が果たされることをずっと待っていたのでした。アンナ預言者も、修道女として神殿での暮らしの中で、イスラエルが慰めを受ける日が必ず訪れることを信じて待っていました。

「家に帰ろう」という映画をご紹介したいと思います。

ひとりのユダヤ人の物語です。戦時中、ポーランドを占領したナチスによって、裕福に暮らしていた彼の家族は皆殺されてしまいます。でも自分一人だけは、友だちの助けでやっとポーランドからアルゼンチンに逃れ、そこで70年間生き延びました。

アルゼンチンで家庭を作り、大勢の孫に囲まれるほど大家族になりました。人生の晩年を迎えて、彼は、ある約束を守るためにポーランドへ帰ることを決心します。その約束とは、ポーランドから逃げるとき、彼は友だちからスーツを借り、必ず返しに戻って来ると約束したことでした。70年後、彼はそのスーツをもってアルゼンチンからスペインにわたり、スペインからフランスのパリへ。パリから列車に乗ってポーランドに向かいます。でも途中、どうしてもドイツを経なければなりません。大嫌いなドイツだけは決して入らないと思っていたのですが、何とか自分の感情を乗り越えて、足を踏み入れます。そして、多くの人に助けられながら、やっとの思いでポーランドに着きます。

自分の感情や限界は何とか乗り越えられたものの、スーツを貸してくれたあの友人は果たして生きているのだろうか。70年前に別れた自分のことを覚えているだろうか。家はそのままだろうか。確かめる勇気がなく、不安と恐れを抱いて、事実と真正面から向かい合うことを躊躇します。その彼を、ガラスの向こう側でじっと見つめている人がいました。70年前に別れた友人でした。

彼らは、涙を流しながら抱き合って再会を喜びます。必ず返しにくると約束した、そのスーツを返すことができました。友情を果たすことができたのでした。

人生の晩年を迎えた年寄りが、たったスーツを返す約束を守るために、三つの国を経由しながら、命をかけるような旅をするのです。

老いるということ、それは、ただ歳を重ねることではなく、成熟していくこと、さらには、約束ということの中に込められた真実をそのまま生きるようになることではないかと、この映画を見て、また今日の聖書の二人の姿に出会いながら思いました。

人生の暮れに救い主に出会うアンナとシメオン。人生のほとんどを、約束が果たされることを待つために過ごしたとも言える二人です。

しかし、待つということは、誰でもできるようなことではないと思います。シメオンとアンナのように、純粋に、子どものように、ただ待つ、約束を信じてひたすら待つという、謙虚な人にこそできることではないでしょうか。

きっと、2020年も、神さまは私たちと約束をしてくださった年でした。どんな約束だったのか。それは、救い主に出会うという約束です。そして、神さまはその約束を果たしてくださいました。さて、私たちは、救い主に出会って、神さまの約束が果たされたという喜びの中で、もう死んでもいい、安らかに去らせてくださいと、信頼の歌を歌えるでしょうか。

無駄だったと思うような日々、過ぎゆく一年。しかし、その時の流れは神さまとの約束の日々でありました。どのような状況の中でも、「あなたは救い主に出会う、救い主の道を歩く」という約束の日々。尊い日々でした。聖なる日々だったのです。

ですから、私たちに与えられる新しい年を、聖別された聖なる年として迎えるために、私たちは、今年を感謝のうちに送りましょう。確かに大変な年であった、しかしそれは、救い主の聖なる道を歩む年であった、御翼の陰に守られた感謝の日々であったと告白の歌を歌いましょう。そして迎える新しい年には、救い主との出会いを求めさ迷う人々を教会に招いて、一緒に主の福音にあずかる、そんな年を心から願いましょう。救い主は、私たちのその働きを助けるために、今日、神殿でささげられ、私たちの先頭に立って聖なる道を開いてくださることを約束してくださっています。

僅かに残された今年最後の日々が祝福されますように祈ります。

 

ユーチューブはこちらから ⇒ https://youtu.be/lAYkOFSnhrM