幼子はマリアと共に
2026年1月4日(日) 説教
主の顕現主日
マタイによる福音書2章1~12節
幼子はマリアと共に
新年、明けましておめでとうございます。今年が皆さまにとって幸いな年でありますように、神さまとの交わりを通して恵み豊かな日々となりますように祈ります。
今年は午年ですが、60年に一度巡ってくる丙午年だということを知りました。60年に一度しか巡って来ないということは、私たちが凄い年に与っているということです。丙午は火の性質を強く持っているということから、情熱や行動力の象徴として言われます。ですから、丙午年は強いエネルギーがもたらされるので、力をいただけるかもしれません。新しいことを構想している人にはチャンスの年になるかもしれません。丙午の良い影響を受けて、世界が平和の方へ変えられることを願います。
今年、皆さまは何か特別な祈りのテーマをお持ちでしょうか。健康のことや家族のこと、仕事のことなど、祈ることはいろいろとあると思います。その中で、今年は、信仰の歩みの格を上げるために、神の国を求める祈りの人になれたらと思います。
イエスさまは、マタイ福音書6章でこのようにおっしゃいました。
「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。」(マタイ6:31~33)。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。」このことは、私一人ではなく、私たちという、私と他者が共にいる国のことです。それに「神の義」とは、私と他者が互いを赦し合い、愛し合って生きることを意味します。独りよがりの生き方ではなく、他者の必要を知り、他者の渇きに気づき、他者の恥ずかしいところを覆って共に生きる道、それが神の国と神の義を求める祈りの道なのです。そして、そのときに、私たちの日々の糧は満たされるということです。ですから、今年は、私が住んでいる近い所のことから日本の社会のために、世界のために、さらには神さまが造られた宇宙へと心の扉を開いて祈る年にしたい。出会ったことがなく知らないけれども、その人々のために祝福の祈りをささげるとき、私の健康や私の家族の平安が守られるようになるからです。もちろん、私の健康や私の家族の平安が守られることを目的にして他者のために祈るのではありません。神の国と神の義は、どう頑張っても私一人でもたらすことはできないからです。私が神の国をもたらし神の義を生きるためには、必ず他者が必要です。どうか、皆さまの祈りが御霊によって導かれ、実りの多い信仰の歩みとなりますように祈ります。また、特別な祈りの課題がありましたら私に教えてくだされば、毎日の祈りに覚えます。
さて、今日は主の顕現主日、東方の国の占星術の博士たちが救い主に会うためにはるばるとベツレヘムまで旅をしてきました。
今日の福音書は、博士たちのことをあまり詳しく書いていません。博士たちについての情報があまりにも乏しいので、それはそれで想像の翼を広げるチャンスにはなりますが、少し残念に思います。占星術の博士たちは遠い東の国から旅をしてきたわけです。イスラエルから見て遠い東の国とはどこなのでしょうか?そして、聖書には人数が記されていませんが、ほんとうは何人で来たのでしょうか?何日もかかる旅路で彼らはどんなことを考え、何を感じ、何について話をしていたのでしょうか?何日もかかったと思いますから、晴れた日は夜空の星を見ながら星について話をしていたのかもしれません。聖書には、彼らが東方で救い主の星を見たと記されていますが、その星が彼らの旅路もずっと照らしていたかどうかは記されていません。彼らは、救い主がおられるベツレヘムではなく、エルサレムに行ってしまいました。道に迷ったのです。そして、彼らがヘロデと別れて外に出たとき、再び現れた星を見て喜んでいます。その様子から考えると、もしかしたら彼らの旅路では、この星は見えていなかったのかもしれないと推測できます。
つまり、博士たちは道に迷ったために、ヘロデのところへ案内されてしまった。そのために、それからベツレヘム周辺では大悲劇が起きます。嫉妬の感情に火が付いてしまったヘロデ王が、罪のない、生まれた2歳以下の男の子たちを皆殺しにしてしまうのです。人が道に迷い、暗闇の中を歩くとき、こういう悲劇までもたらすことになってしまうという教訓です。忘れないようにしたいです。
救い主の星は、まるで彼らがヘロデに会っていることに気づいて驚いたかのように、慌てて夜空にその姿を現し、急いで博士たちを救い主がおられるベツレヘムの家へ案内しています。そこで彼らは、母マリアと共におられる救い主に出会いました。ヨセフはいません。母マリアと幼子だけが家の中にいます。
「幼子は母マリアと共におられた」。この一言の中に私は神の愛が充満していることを感じます。それは、母なる神の愛とか、父なる神の愛というようなものではなく、この上なく、お造りになった被造物を愛し、愛おしく思って包んでくださる慈しみ深い神さまの愛を感じるのです。特に、幼子のように、右も左も見分けることが出来ず、ただただ権力や富の構造悪の中で犠牲になっていく人々のために心を痛められる、憐み深い神さまの愛が、「幼子は母マリアと共におられた」という、この言葉から感じ取れるのです。
そしてその愛は、幼子イエスにそのまま継承されました。すべてのことに憐み深い愛をもって向き合い、愛する者の死を望まず、常に新しい命を注いでくださる。愛するためには命まで惜しみなく差し出してくださる、尊い愛を生きる人としてイエスさまは成長なさいます。イエスさまの成長に関しても聖書には書かれていないので想像するしかありませんが、イエスさまが神の子と呼ばれるのは、神さまの愛を実践して神さまを現したからです。イエスさまは、人々のために尊い命を差し出してまで愛の神さまをそのまま現してくださいました。神さまを現すためには愛することのほかに道はないからです。愛することで神を現すということは、とてもシンプルなことですが、しかし、人はその道よりは暗闇の道を選び取ってしまいます。富を所有すること、偉くなることが成功の道と思うからその道を選びます。しかしイエスさまは、母マリアと共に、単純素朴で貧しく、命をも惜しまず愛する、愛の神の道を継承され、実践なさいました。
家の中に入り、母マリアと共におられる幼子に出会った博士たちは、その愛の神に出会います。惜しみなくすべてを与え、また、限りなく自分たちの弱さを包んでくださるその愛の中に彼らは招き入れられました。それは、今まで味わったことのない包む愛、弱さも、醜さも、あらゆる違いがそのまま包まれて受け入れられる。救われるために何か特別なことをしなくてもいい、あなたは一生涯を通して救いを得るために格闘してきた、一生懸命に生きてきた、渇きを満たすためによくここまで来た、ご苦労さまと励ます神さまの声を、彼らは母マリアと共におられる幼子を通して聞くことができた。遠い旅路の疲れや人生の重荷、将来への不安が軽くなったときでした。愛の力です。
その彼らは、帰りの道をヘロデに通じる道ではなく、別の道を辿っています。その道は、彼らの夢の中で告げられました。彼らは星占いだけでなく、夢占いも行う人たちだったようです。このことでもわかるように、占い師は占い師のままでいい、与えられた賜物をそのまま生きていいということ。人の顔色を伺うとか、一方的に人の求めに応じる生き方をしなくてもいい。または逆に、自分と合わない人を自分から排除しようとがんばらなくてもいいということです。すべてを包む愛の中に招き入れられるときに、人は分かります。自分が自分として居られる道は、置かれた状況や相手が変わることではなく、自分自身の内面にすべての答えがあるということを。
博士たちが通った別の道は喜びに溢れる道でした。今まで歩いたことのない道です。その道にいれば、これからどんなことに出遭わされようと揺らぐことがありません。他者と共に生きる道だから、他者と共なるそこには永遠の命の源なる愛の神さまが共におられるのを信じられるからです。神の国に通じる道です。
今年、私たちもこの道を歩みたいです。丙午年ということですから、思わぬ出来事にも出遭うかもしれません。しかし、忘れないようにしたい。波風が高くても海はその自分が海ではないとは思わないように、私たちも、多少の波風が起きても、私が私ではなくなることはありません。波風が強いときでも愛することを恐れることはありません。私たちが愛する道に向かって一歩踏み出せば、神さまが先頭に立って導いてくださいます。
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