片隅のメシア
2025年12月14日(日) 説教
待降節第3主日
マタイによる福音書11章2~11節
片隅のメシア
私たちは、イエス・キリストという名前を、それほど難しくなく受け入れます。たまに、イエスがファーストネームでキリストがファミリーネームと、誤って知っている方もいますが、キリストは名前ではなく、メシア、つまり油注がれた者を現わす言葉です。メシアをギリシア語でキリストと呼びます。
イエスさまがキリストと呼ばれるようになったのは、公生涯が始まってすぐではありませんでした。イエスさまの死後、イエスの復活の出来事を通して、「イエスこそがキリストである」と確信した弟子たちを中心に、イエスをキリストと呼ぶようになったのです。つまり、神の国の運動を始められたとき、イエスさまは、それほど人々に知られていませんでした。イエスさまよりも先に活動を始めていた洗礼者ヨハネの方が人々の人気を得ていて、ヨハネこそ来るべきメシアだと考えられていました。
先週もお話しましたが、洗礼者ヨハネは、旧約聖書の最後の預言者と呼ばれ、エリヤが生き返ったとも呼ばれていました。というのは、旧約聖書の最後の預言者マラキが紀元前5世紀の半ばに死にますが、それから500年の間、預言者が現れなかったのです。その空白のときを置いて現れたのがヨハネでした。どうして500年の間だれも現れなかったのか、その理由はよくわかりませんが、人々は、自分たちが神さまから見捨てられたと思っていたのではないでしょうか。次から次へと大国によって苦しめられ、神の民と呼ばれたイスラエルは、神殿税と支配国へ税金を支払うものでしかない、完全に征服された民となったのでした。きっと、民らは神に聞いた。あなたはどこにおられるのですか。私たちのことを見ておられるのですか。かつて神の言葉を語った預言者たちは、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか。
そういう叫び声が500年も続いていたあるとき、洗礼者ヨハネが、荒れ野に登場したのです。ついに、神の言葉を語る人が現れました。ご利益ではなく罪について、妥協ではなく悔い改めについて語る人が人々の前に現れ、人々に神の国に入るための備えを勧め始めたのです。さらには、それを邪魔する者に対しては容赦なく非難をしました。ヘロデ王に対してはその乱らない私生活を非難し、ファリサイ派とサドガイ派の人々に対しては、悔い改めの実を結ばずして宗教界を乱していると強く非難しました。このように、ヨハネの現れは人々に大きな喜びを抱かせたのです。
そのヨハネがどのようにして生まれたのか、ルカ福音書に書かれていますが、ルカ福音書は、イエスさまの誕生に先立って洗礼者ヨハネの誕生の予告から始まります。ヨハネのお母様はエリザベト、お父様は祭司を務めているザカリアです。この夫婦は子どもがいませんでした。当時、祭司たちは当番を決めて聖所に入っていたようですが、ザカリアの当番の日、聖所に天使ガブリエルが現れます。そして、妻エリザベトが男の子を産む、その子の名をヨハネと名付けなさい。その子はエリヤの霊と力で主に先立って行く者になると告げます。しかし、父ザカリアはガブリエルのお告げを素直に受け入れることができませんでした。歳を取っている自分たちにどうしてそんなことがありえましょうかと疑いました。そのためにザカリアは、子どもが生まれ、その名をヨハネと名付けるまで口が利けなくなります。
このように、ヨハネは、父が祭司で、お母様も祭司の家系だったので、生まれながら祭司の家庭でした。大工の家に生まれ、大工の仕事を手伝いながら成長したイエスさまに比べれば、ヨハネは生まれながら伝道者となっていくための環境が整っていたのです。さらには、当時の宗教界の人たちのようにではなく、荒れ野で禁欲的な生活をし、弟子たちを育てます。お酒を飲まず、荒れ野に生殖するものを食べ、神に集中することを妨げる事柄はすべて遠ざける生活をしました。とても厳しい生き方ですが、その生き方の中で人々に語る話は、暗闇の中で苦しんでいる人々の心を捉えるに十分なものでした。ですから、人々は、この人こそ来るべきメシアだと信じたのです。
このヨハネがイエスさまと出会ったときは、ヨハネの人生がクライマックスを迎えたときでした。ヨハネは、ヘロデの結婚が間違っていることを非難したために捕らえられ、ヘロデの地下牢に監禁されます。牢に入れられたヨハネの慰めは、自分は捕らえられても、イエスはまだ自由で、神の国の福音を述べ伝えることができていることだったのかもしれません。
しかし、ヘロデの地下牢でイエスのことが不安だったのでしょうか。ヨハネは弟子たちを遣わせてイエスに聞きます。「来るべき方は、あなたですか。それとも、他の方を待つべきでしょうか」(3節)と。この質問には失望が込められているように聞こえます。「本当にあなたに神の国の福音を委ねてもいいのか?」「私はあなたのことを誤解していたのかもしれない」という心配が込められた質問です。
このヨハネの質問に、イエスさまはお答えになりませんでした。イエスさまが答えたのは、イザヤの預言が現実になったことだけです。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(5節)。
これだけではヨハネの質問に答えたことにはなりません。ヨハネはもっと大波のようなメシアを期待していたのです。誰もがメシアと認め、腐敗したすべてを押し流してきれいにし、神は偉大であり正義に満ちた方であると証言するメシアが現れることを望んでいた。そういうメシア像を抱いて彼はイエスに洗礼を授け、自分はこの方の道を備えるためにだけ遣わされた者だと、揺らぐことなくその立場に徹し、それが神の御心だと固く信じていたのです。
しかし、ヨハネのメシア像はことごとく壊されました。病んでいる人を癒す行為のほかに、メシアらしき姿がイエスから見えてこないのです。ヨハネは、きっと、死ぬ瞬間までイエスがメシアであることを納得しないまま死んでいったのかもしれません。自分は神にからかわれ、神はあんな人のために道を備える者として自分を立てたのかと神を疑い、失望の中で死んでいったのかもしれません。
しかし、すべてが変わりました。イエスを十字架の死から復活させられた神の偉大な業を機にして、すべてが変わりました。
ヨハネと同じように、皆が自分たちを今の政治や宗教界から解放してくれる政治的メシアを渇望してイエスに従っていた。しかし、政治家や宗教界の指導者たちを追い出してすべてを新しくするはずの人が、むしろ虐められ、十字架に付けられて死んでいく弱々しい恰好。自分たちが期待していた姿はどこにもありません。信頼の対象が間違っていたと思うや否や、皆イエスの十字架の前から逃げてしまいました。こんな人を神はメシアとして立てたのかと、神を疑ったのかもしれません。
ヘロデの地下牢で神を疑いつつ死んでいったヨハネのように、自分たちが望んでいた強さを持たないイエスを捨てていく人々のように、私たちも、自分の思うように物事が進まないとき、十字架のイエスの前から逃げます。何度逃げていたのかわからないくらい逃げてきました。私が望むようなメシア、私の幸せのために、私の弱さの克服のためのメシアとの関係作り、私たちはそれを信仰と思ってイエスに従ってきたのかもしれません。イエスが担う険しい道は歩きたくないのです。
しかし、ヨハネが疑い、皆が疑って十字架の前から逃げてしまっても、神さまは神さまのなさるべきことを、ほか誰でもなくイエスさまを通して実行なさいました。十字架の上で死んだイエスを復活させたのです。そのときすべてが変わりました。
この待降節、私たちが待っている救い主、その方は、私たちと変わらない弱さを持っておられます。しかし、私たちとは完全に異なる面を持っておられます。それは、死に至るまで神さまに従順でおられるということです。ご自分の弱さのゆえに人を傷つけたり、自分の利益のために神さまを活用したりする私たちとは違って、自分を傷つける人を赦し、人の利益のためにご自分を差し出す方です。ヨハネや私たちが望むように、天から火を下らせて、今、戦争を起こしているあの人やこの人を痛い目に遭わせるようなことはなさいませんが、その人たちのために苦しむ人々の傍で、その人たちが担っている苦しみをそっと担って一緒におられます。神さまとの信頼の道はここにあります。私たちも、自己中心的な道からイエス・キリストが歩まれる道へ移っていく、今が、変化のときでありますように祈ります。
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