本来

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愛する人は、小さな行いにも心を注ぐ。
祈る人は、祈りの部屋をきれいにする。
祈る人の心は、常にシンプル。
もてなしが好きな人は、次の客を考える。
煩悩のない人は、眠りが深く、
友たちが多い人は、自分の持ち物を分かち合う人。
ドクダミは、ドクダミの花を咲かせ、
バラはバラの花を咲かせる。
決して自分以外の者から自分は現れない。
今私が現わしているのが私である。

 

 

静けさは、外側の生活がただひっそりしてさえいれば、そこにあるというものではない。
休暇を過ごす場所での個室がそれだけで静かな場所なのではない。
外側の世界がしんと静まり返ったところでは、内なる声がしゃべり始め、
そこでは心が語り、叫び、問い、盛んに回答し、
そこでは非難と弁護の自問自答が起こってくる。
沈黙していても、ゴミ捨て場のように空しく、慰めのない沈黙もあれば、
牢獄のように暗い沈黙や、野獣のように危険な沈黙や、
陰府そのもののように声がうつろに響く沈黙もある。
(「星を仰いで路地を見よ」より)

 

 

 よくよく言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。
あなたがたは苦しみにさいなまれるが、その苦しみは喜びに変わる。
女は子どもを産むときには、苦しみがある。その時が来たからである。
しかし、子どもが生まれると、一人の人が世に生まれ出た喜びのために、
もはやその苦痛を思い出さない。
(ヨハネによる福音書16:20~21)

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