主を畏れることは知恵の初め

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主を畏れることは知恵の初め。主を畏れること、それはどうやって起こるのだろう。わたしたちは本当に「主」という一人の神を畏れようとしているのだろうか。それよりもっと大切にして畏れ敬っている対象を、日常の中に持っていたりしないだろうか。そしてそれらによって、結構複雑な関係づくりができていたりはしないだろうか。主を畏れることができるときに、人はシンプルになる。主が自分と相手との間におられるから、単純素朴な生き方の中に導かれ、他者とのかかわりは以前より多くなっても複雑ではなくなる。

どんなに多くのものを持っていて立派な家に住んでいても、悩みが絶えないのなら、それは滅びの道を降っていることになる。主を畏れ敬う道へ移ること、知恵の道を歩くこと、本当の豊かさはそこにこそある。

「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く」(詩編111編)。

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