キリストの心(教会だより2026年1月号)
2026.1.30

 高齢者施設に入っている96歳の女性を訪ねています。80歳まで北海道の他の教派の教会で信仰生活を送り、娘さんと暮らすために上京して以降は教会生活から離れています。その娘さんから依頼されての訪問です。母は日頃から、もう早く死なせてほしいと訴えているとのこと。初めての面会でもなぜ自分がこのような目に合うのか分からない、神さまに早く命取り上げてほしい、と話します。信頼への格闘には主を信じる仲間が必要なのだと思わせられました。

 訪問も五回目となる頃は、信じる者同士で話せる楽しさを味わい始めました。笑顔も出ます。ですが、お会いしている間にも一、二度はもう早く死にたいですという言葉は出てきます。それを言わないようにというのではなく、むしろ嘆きを訴えてくださっていいのですが、それ以上に、主の慰めをいただけないものかと願わずにいられませんでした。

 私が訪ねている時間はせいぜい30分です。私や娘さんが帰れば、またひとりベッドに横たわるばかり。働いたり遊んだり、友達と話したりの日常はありません。体を横たえている生活がどれほど辛いことだろうか。夜はどんなに長く感じられることだろう。お会いして話して祈って、また来ますと言い、そのあとをどうするのか。思わず、イエスさまと話してくださいねと告げていました。

 先日尋ねた時にイエスさまと話しましたか?と尋ねると、はいでもいいえでもなく他の話を始めます。イエスさまとのおしゃべりはしなかったのかな。それでも「夜眠れないんです」と話されるので「ああ、それはつらいですね」。「でも、その分昼間寝ているんです」??? 少し間が空いて一緒にいた娘さんと笑いました。あれっ、笑わそうとしています? 意外とお茶目。

 別れ際に、これからはイエスさまとおしゃべりしてくださいねと宿題を出しました。主とおしゃべりすることがクリスチャンだと思うから。「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5章17節)。宿題、してくれているといいな。

(東京ルーテルセンター教会牧師 齋藤衛)