キリストの心(教会だより2025年8・9月号)
2025.9.18

恵みと畏れ

ルカによる福音書7章16節

 「愛」と「正義」は相性の良いものに感じます。しかし、本来は両立しにくいものです。どうせ赦してくれる、どうせ最後は救ってくれる、そんな思いでいっぱいになると、正しさは疎かになります。全面的に正しい世界は、愛のない世界になります。

 本来並び立つことのない愛と正義をあわせもつ存在がいます。イエス・キリストです。イエスさまは、一晩漁をして一匹の魚も取れなかったペトロに大量の魚を与えます。湖のうえで突風が起こり、船に水がかぶる中、風と波をしずめます。死んだやもめの息子を生きかえらせます。恵みを受けた人、恵みを見た人に与えられる思いは、喜びと同時に畏れを受けます。イエスさまは、恵みと畏れを同時に与える方です。キリスト者は、恵まれ、選ばれたものでありながら、謙虚にさせられるものです。

 イエスさまの十字架は不思議です。罪人をゆるし、贖い、救うために、イエスさまが十字架にかかる必要があるのでしょうか。ただ、罪人を救うと、神さまのみ旨を伝えるだけではいけないんだろうかと思います。しかし、神さまは罪人を贖うために、神の子の十字架を求めます。わたしたちは、十字架を見上げる時、畏れを感じます。わたしを贖うために、イエスさまの十字架という代価が払われたことを知る時、畏れを感じます。恵みと同時に、畏れを感じます。イエスさまの前に立つときだけ与えられる、不思議な思いです。生涯、イエスさまの前に立ち続けます。

(札幌中央ルーテル教会牧師 吉田 達臣)