キリストの心(教会だより2021年10月号)
2021.11.11

キリストのこころ 「空をさす指」

「空をさす指は空ではない。」指は空ではない、指である。聖書は神を指さす指である。聖書は神ではない。指である。指さしてもらわなければ、空がどこにあるのか分からないかもしれない。指し示す指は、とても大切である。だが、空ではない。指そのものを見るのではなく、それがさす空を見なければならない。神さまを見なければならない。
空は指に比べて、遥かに大きい存在である。詩編ばかりではなく、預言者の言葉も、詩のように表現される。言葉にしえないものを何とか表現しようとしている。理屈では矛盾していることを何とか指し示そうとしている。預言者は、イスラエルの罪と背きを徹底的に糾弾する。しつこいくらいに繰り返し糾弾する。でもその直後に、神さまが必ず救ってくれる、見捨てるはずはないと、繰り返し語られる。どっちなんだ、情緒不安定か、と思う。
親はわが子に、誰よりも正しく生きてほしいと願い、うまく生きてほしいと願う。しかし、そのわが子が放蕩の限りを尽くして帰ってきても、生きていてくれたのかといって、喜んで迎え入れる。
神さまは、誰よりも、私たちに対し、自分を大事にし、出会っていく人を大事にして生きてほしいと願っている。だから、そのことを繰り返し進める。でも、私たちは、それができないときがある。自分でも分からない中で、人を傷つけ、自分を傷つけていることがある。自分でもおかしいと思いながらも、その自分をとめられないことがある。自分が嫌になり、なんであんなことを言い、あんなことをしたのかとひどく落ち込む。
そんな時にも神さまはあなたに寄り添う。ボロボロになりながらも、よくここまで生き抜いたと、抱き留めてくれる。失敗もし、傷つけ、傷つけられ、助けすら求められない時も、神さまは助けてくれる。
空は指よりも大きいことを忘れてはいけない。神さまを小さくしてはいけない。計り知れない、言葉を尽くしても語り切れない神さまを、「神は愛なり」と聖書は指し示す。キリストの心は、私たちが思っているよりも遥かに大きくて深い。

(札幌中央ルーテル教会牧師 吉田達臣)