議長だより(教会だより2025年11月号)
2025.12.9
「それゆえ、信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです」(ローマ10章17節、協会共同訳)。ルターはこの個所を「それゆえ、信仰は説教から生まれ、説教することは神の言葉によって生まれる」と訳しました。ルターにとって「神の言葉(キリストの言葉)を聞く」ことは、「説教する」という彼の職務と実存に深く結びついていた、そしてまた、神の言葉が広く聞かれるために、そのみことばを多くの人々がわかる言葉で「説教」して取り次ぐことと大きく関係していたということでしょう。「宣べ伝える人がいなくて、どうして聞くことができるでしょう」(同14節)。
ルターは「聖書」の母国語への翻訳や、歌うみことばとしての賛美歌をたくさんつくりましたが、礼拝についてもそれまでラテン語のみで行われていたものを、母国語のドイツ語で行えるようにしました。その『ドイツ・ミサ』では、「[キリスト教の信仰が広まるように、聖書を]読み、歌い、説教し、執筆し、詩作しなければならないし、その助けとなり、利益となるならば、私はそのためにすべての鐘を鳴らし、すべてのオルガンを響かせ、鳴るものすべてを鳴らしたい」と記しています。ルターにとって、楽器も神の賛美に重要な役割をもつものでした。これは、同時期にスイスで宗教改革を行ったツヴィングリやカルヴァンが、礼拝での合唱や楽器の使用を禁じ、当初、単声で聖書の『詩編』を歌うことだけを認めたのと対照的でした。
このようなところにも、教会の伝統を大切にしつつ、「キリストの言葉を聞く」という、まさにそのことのためには「新しさ」に開かれているルーテル教会の立ち位置のようなものがあらわれていると言えるかもしれません。
江本 真理
