キリストの心(教会だより2025年7月号)
2025.7.16

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

(ヨハネ15章5節)

 「つながれているから高くあがる凧」―何かで見たことがある川柳です。凧が高く揚がることができるのは、糸につながれているからです。糸が切れると凧はどこかに飛んでいってしまい落ちてしまいます。また、凧を高く揚げるには、ただ糸を送り出しているだけではだめで、凧をうまく風に乗せるために、糸を引くことも必要です。凧にしてみたら、足を(糸を)引っ張るなよ、と思うかもしれません。でも、凧が風に乗って高く揚がるためには、「つながっている」こと、そして時には「引っ張られること」も必要なのです。

 こんな「凧」に私たち自身を重ねてみるときに、何か見えてくることがあるでしょうか。私たちの歩みには試練や困難があります。それは望ましいことではなく、できれば避けたいと願うことです。でも、試練や困難がある。その中で、私たちに必要なのは「つながっている」ことです。「つながっている」こと。私たちに今日も命を与え、私たちを御心のうちに守り、生かしてくださる命の源なる神さまとのつながり。困難や苦しみの中にあるこの私のために祈り、私を支えてくれている隣人、信仰の友とのつながり。

 「つながり」というものは時にめんどうに思えたり、自分の足を引っ張るもののように感じられることがあります。でも「つながっている」から生きられる。「つながっている」からこそ本当の命に生かされていく。この「つながり」ということを今一度深く思い巡らしてみたいと思います。

(竹の塚ルーテル教会牧師 江本 真理)