日本ルーテル教団


                    

「ハイチ大地震義捐金」の感謝と
「災害支援献金」継続のお願い

 
ハイチの大地震に続き、南米・チリでも大きな
地震が発生し、さらに中国青海省でも大きな
地震が起こりました。それによって大勢の方が
犠牲になり、被害に合われました。
その災害救援のための義捐金を募っています。
どうぞ、ご協力ください。

郵便振込: 00180−0−132779
加 入 者 名: 日本ルーテル教団
通信欄に「災害支援献金」と明記してください。
6月30日までに御送金ください

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   今月のメッセージ



「中に入らなければ」 ー2010年9月ー

13:22 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。 13:23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。 13:24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。 13:25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。13:26 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。13:27 しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。 13:28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。 13:29 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。 13:30 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」


ルカによる福音書13章22節〜29節


いわゆる受験の難関校を目指すことを「狭き門を目指す」などと言います。なぜ難関校が狭き門なのか。それは合格者に人数制限があり、入学したくても入れない者が多いからです。その狭き門について、主イエスは救いの御国に入りたいと願う者は、狭い門、すなわち狭い戸口から入るように努めなさいと勧めています。しかもイエスは《狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ》(24節)と語っております。
それは丁度、志望校の狭き門を目指している受験生に似ているように見えます。しかし救いの御国への入場者に人数制限はありません。にもかかわらずなぜ主イエスは、「狭い戸口から入るように努めなさい。」と言ったのでしょうか。

その理由について25節で《家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。》とイエスは教えています。
つまり天の御国の戸口はいつまでも開けっ放しではないし、慢心していると戸口が閉じられるその「時」を見逃してしまうと主イエスは言われます。天の御国の主人である父なる神が天の戸口を開けている間に、私たちはその中に入らなければなりません。そしてそこから入る時には、悔い改めの洗礼が求められます。それ以外の方法はありません。

自分は洗礼は受けないけど、自分なりに神を信じているから救われると考えてはなりません。救いの基準は神御自身が造られるのであり、私たちは自分の都合に会わせた救いの基準を作ってはなりません。私たちが《御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです》(26節)と言っても、悔い改めの洗礼によって天の戸口に立つのでなければ、《お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ》(27節)と言う答えが返って来るだけであります。
ですから天の戸口が開いている間に、悔い改めの洗礼による信仰によって、とにかくその戸口から中に入らなければ、あなたは神の救いに与ることはできないと主イエスは語ります。そしてその天の戸口は一つしかないのであります。

でも、主を信じて狭い戸口から入るにはどうすれば良いのか。それは悔い改めの信仰によって心を低くしなさいと主は教えられます。心を低くする信仰者にとって天の戸口は決して狭くはありません。主イエスの示す天の戸口はなぜ狭いのか。それは全て心の驕り高ぶる者に天の戸口は狭く、心が高ぶったままで、天の御国に入ろうとしても入れない人が多いのです。

さらに私たちが心を低くして通る戸口とは何か。それは主イエスキリストの十字架による救いという戸口であります。私たちの永遠の救いのために父なる神が用意して下さった天の戸口は、主イエスキリストの十字架という戸口だけです。この主の十字架の御前に立って心を低くするとき、その救いの戸口は私たちが通るに充分な広さをもって、開かれております。

そしてその入場者数に制限はありません。キリストの十字架という救いの戸口は、心を低くして通りたいと願う私たちために今日もこの戸口は開かれています。その開かれた戸口から中に入って、「私は今日も主に従う信仰によって生かされています」「今日も主の憐れみよって心を低くすることが赦されています」との信仰の告白を持ち続けましょう。


    アーメン。





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